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自己変革の喜び 全ては自分の中に

「私は、万引きの天才だった」少年院にやってきた十六歳の女の子は無邪気な顔で話した。小学生の頃からやっているが、つかまったことがないという。一度などは大きなスーパーの屋外店頭から身の丈ほどの「キリンのぬいぐるみ」を抱え家まで帰った。七、八歳のことである。
こんなことはそうできることではない。
恐ろしいほどの大胆さ、神経を張り詰めた繊細な観察、瞬時を逃さない行動。万引きは決して許されるものではない。しかし、そこには知恵や工夫、経験の蓄積さえ見いだせる。人間であるならばだれもが等しく持つ学習能力を、より良く伸ばすことの意味を考えさせられる。
法務省より篤志面接委員の委嘱を受け、東京にある女子少年院へ行き、毎週1回個人面接を、また、月に一回コーラス指導をして十九年になる。
ボランティアである。
面接は同じ女の子と四、五ヶ月は続く。胸の内を聞いてゆく。
直接的虐待を受けた。父親の母親に対する暴力を見続けてきた。両親の不和による母親のグチの聞き役をしてきた。「お前なんか生まなきゃ良かった」「家の子じゃない」等、精神的虐待を受け続けてきた、そんな多くの女の子たち。それでも、親のせいじゃない、私が悪いんだ、という人がほとんどである。しかし、その行動は自己破壊的であったり他者への攻撃であったり、まるで幼少期に受けた心の痛みを、思春期になって社会に復しゅうしているのか、また、助けてほしいと無意識のサインを発している姿にも見える。
少女たちは施設へ来て寮生活の中、教育を受け始める。
収容されている同年代の人たちと一定の距離を保ち、自分を見つめ内省を深める。同時に役割を果たし協力し合いながら生活や行事を成し遂げてゆく。教官や面接委員など大人に話をし気持ちを伝えたり、作文や日誌をつづる。収容期間内、折にふれ繰り返される。
また、中学生は義務教育の中心科目を学び、年長者は火器取り扱いやパソコンなどの資格試験に挑戦する。
退院近くになると、院外学習として養護老人ホームで介護の手伝いをさせてもらったり協力事業主のもとで働かせてもらったりもする。
そんな中、面接を始めて数か月もすると、時に「顔がかわった」と気付くことがある。
目がしんと澄んできたり、優しい顔になる。
万引きをしていた少女も、身勝手さは影をひそめ、思慮深さが表情に浮かぶようになっていった。落ち着きのあるいい顔である。
それぞれに話を聞くと、どこかで、何かの折に意を決している様子がある。「ここで変わらなかったら、出てからも変われない、変わろう。」それは、真摯に向き合う大人の存在を知ったり、厳しさを乗り越え自分を信じることができたからではないだろうか。そして教育を受け、分からなかったことが分かること、不安が安心に変わることが、考えることもできなかった自分の将来へと目を転じさせたに違いないことが感じられる。
教育とは、すべからく教育をするものが教育を受ける側に人間的影響を与えることではないだろうか。その影響を受けた時、人は「自分の意思」で自己変革を遂げてゆく。自分を高めていこうとする。自分の内側がより良く変化していくことの喜びは、何物にも代えがたくその人のものになる。学習を得たのである。
教師は常にそこにいる。学ぶ気になることが大切なのだろう。「いろいろあるけれど、今の自分が一番充実している」と言えたら良い。そのチャンスは生涯にわたって私たちの手のなかにある。
なんて嬉しいことだろう。

月刊『マナビィ』02年1月号「生涯学習論考」より


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